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FIRE

荒神谷遺跡/koujindani

日本の神社の中で一番古いと云われる「大神神社」…

奈良県南部で育った僕は、お宮参りといえば三輪でした😃
近所にはもう一つ有名な「橿原神宮」もあるんですが、
南北朝時代以前から大和越智氏の館があった「越智」出身の
僕の祖母は「橿原神宮は偽物や、三輪がホンマもんやで」
とよく言ってたんです😊
(このおばあちゃんがよく昔話を聞かせてくれたんです)


歴史に興味を持つようになって、幕末、戦国時代、から
大和朝廷、古墳、弥生に縄文…とどんどん古い方へ…(^^
日本列島に人がどこから渡って来たのか…ってことまで、
興味は尽きない😊

いろんな本を読んでるうちにマニアックな知識が増えて😝




三輪山の南には「出雲」という村がある…
奈良県には全国の国の名前がつけられた地名がいっぱいあるんです!

吉備、阿波、土佐、薩摩、長門、大隈、丹波市、飛騨etc

これらは藤原京造営や後の平城京造営のために全国から集めたれた人夫が、
出身の国ごとに集まって暮らしたと云われてます。

で、『出雲』…。
その村には「野見宿禰」伝説があって、三輪山の北西には「相撲神社」
があります(穴師)。

日本書紀にある垂仁天皇の御前にて初めての相撲勝負の図
「当麻蹴速vs野見宿禰」

蹴速は今もある「当麻」(葛城)の村の人で、
野見宿禰はこの「出雲」の村の人と言われてる…

日本書紀にはその日のうちに対戦相手(野見宿禰)を探して対戦させたとあるから
島根県の出雲からだと1日で移動は無理…だからこの村の人なんじゃないのか…と。

そもそもこの三輪山(神奈備山)の麓にあった国(纏向遺跡)は、
出雲勢力が築いた国だったと思う…!

全国の主要な豪族がここ大和に集まって統治の拠点とした、
「祈りの中心」(纏向遺跡から出た柱痕が根拠)として…?
その頭である『王』が出雲の人『大己貴尊』(オオナムチノミコト)…。

出雲の「王」素戔嗚尊(スサノオ)
そして大己貴尊 ー 大物主尊(オオモノヌシ)…

そして大神神社に祀られているのは「大物主」…出雲の神様🤔

日本の主は大和で神になった…。

三輪山を神奈備山という…(出雲にも神奈備山がある)
拝殿を置かず三輪山をそのまま拝む原始のアニミズム…




『そして何かが起きた!』…と思う、歴史から消された事件が…
のちに出雲神話の国譲りの物語にメッセージがあると思う…。





飛鳥を宮とした勢力の前にあった政権は出雲だった…🤔

そんなことを知っていくうちに出雲国に行きたくなった(^^

1983年…島根県出雲市で大量の青銅器「青銅鉾」が見つかる…
『荒神谷遺跡』だ😃

見てみたいなあ….よし!行ってみよう(^^





車で3時間半ほどで到着🚘

平日、気ままに決めれるってのはFIREの魅力😊✌️

丘の斜面から「銅剣358本」「銅鐸6個」「銅矛16本」が見つかる👀

この銅剣が見つかるまでの日本の銅剣出土総数を超えた!
一箇所からまとまって358本❗️
北部九州製と考えられるんだって🤔

銅鐸…三号銅鐸は伝徳島県出土銅鐸と同笵であることが確認され、
二号銅鐸が京都の梅ヶ畑遺跡出土の四号銅鐸と同笵であることが判明した。

弥生時代から九州で作られた金属製道具が広く分布している…
少し前まで銅剣・銅矛は九州勢力、銅鐸は近畿勢力と云われてたけど、
どんどん新発見が進み、今はまた違った見識となってきた(^^

歴史って「古いこと」なんだけど、常に新発見があって「説」
は色々と変わる…いわゆる最先端知識となるんですよ🤓

当時の王はこんなんだったのかなあ…
青銅も新しいうちは「山吹色」です✨

農耕民族となっていった弥生時代、田んぼを切り開くには金属が必要だった..
金属を作る技術は大陸からの知識だったとすれば、やはり大陸に近い北部九州?


日本海を流れる対馬海流は日本列島に沿って東へ流れてる…
九州北部に伝来した金属加工技術はこの潮の流れに沿って出雲へ…
瀬戸内海を渡って、もしくわ陸路で吉備へと伝播していったんかなあ🤔

四方を山に囲まれた大和盆地に大きな国が現れた頃…
三輪の近所にある纏向遺跡では祭祀専用と思われる建築物が建てられた。

纏向の地でこのような勢力が全国から集まったと出土品から立証されてる…
出雲、北部九州、吉備、東海、北陸…などからの特徴を持つ土器が出てる🤔



古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたのが、
1871年(明治4年)に出雲大社と改称したんですね…。


明治維新を成し遂げた新政権は「日の元日本🇯🇵」
を帝が納める国として維新(restoration)する…

古事記や日本書紀に記述があること(神話まで)
を事実として明確にしたかったんだろう…。

なので…
「日本書紀に書いてある通りの場所にそれが無いのはいけないこと!」
と辻褄を合わせるようなことをいろいろしたんですね。
橿原神宮はその代表的なもの😊
明治36年生まれのおばあちゃんは親から聞かされてたんだろうね…

本殿…
しめ縄の向きが逆(左右が一般の神社と反対にかけてある)
そして「一拝・祈念・二拝・四拍手・一拝」が基本です🤔

温泉宿にて♨️

その時代、出雲は人口も多い大きな国だったんだろうなあ、
それを裏付ける歴史的発見👀 
荒神谷遺跡の出土品には北部九州の影響が大きい青銅器。

いろいろ思いを巡らしながら….🤔


知的好奇心の旅は続く…。(^^



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