竹内宿禰…
景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。
紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる…
竹内街道を使って二上山にある竹内峠を越えて太子町へ…
小学校のとき自転車🚲で越えたなあ(^^
冒険好きなワンパクくんやった
竹内街道につながる日本で一番古い官道である横大路沿いに祖母の家があった、
その近所で育った僕は新益京(藤原京)の洛中内で育ったことになる。
だから歴史に興味を持ったのかもしれない . . . 違うか(^^;
20歳の時に「小説織田信長(山岡荘八著)」を読んだことから歴史にハマったと思う。
それから「龍馬がゆく」や「翔ぶが如く」「坂の上の雲」など司馬遼太郎の小説はほとんど読んだ(^^
時代的には戦国時代、幕末、明治維新あたりの本だったし、それが勉強になった。
リーダーとは、判断とは、そんな自分の仕事に関わる能力を磨くための知識として読み漁った。
「龍馬がゆく」の文中に『天誅組による大和戦争(高取城攻防戦)』が出てくる、
この中に書いてある出来事が、祖母から聞いた先祖(高祖父)の戦話しだった!
『敵は土佐、先祖は活躍したけど時代が明治へと変わり逆賊扱いされることで姓を変えた』
ということをよく話してくれた。
このことが小説に出てきたことで歴史が自分と繋がってることを知る(^^
そこから僕には歴史が音や匂いを伴って立体的に見え出した…。
昭和、明治、幕末、戦国時代、室町、鎌倉、平安時代、奈良、飛鳥、
そして興味はもっと古い時代の日本のことに…
奈良県南部には東に纏向遺跡、西に南郷遺跡、南に明日香や吉野があり
渡来人がたくさん入植したとある。
勝手な想像ですが渡来人の顔立ちは大陸的な平面顔?
なのであれば奈良県南部の人は平面顔が多い?…???
しかし、僕は?僕の親や祖父祖母は?…???
みんな濃い顔立ち…?なんで???
戸籍謄本を取り寄せて全先祖の名前と住所まで調べれる時代(幕末)まで調べてみた(^^
よその県(国)から来た人はいない…みんな葛城と言われる地域の人だった🙂
ある日、知り合いの医者とそんな話をしていたら
「医学会では有名なんだけど、奈良県南部の人にある種の血友病があって、
それはポリネシア人に共通するんだ」って。
ポリネシア?…
俺の顔は東南アジア系と言われる(^^
実際に海外へ出かけると日本人とは思われないことが多い…(^^
台湾の花蓮に行った時、現地の方から
「あなたはアミ族ね、ここはあなたみたいな顔いっぱいいるよ!」
って、へ〜!(^^
それから台湾原住民のいろんな村に行ってみた、
他族の原住民のからはやっぱり「あなたはアミ族」って😆
またある時
インドネシアのバリ島にある歴史博物館でみた石の彫刻には驚いた、
まるで明日香にある猿石、亀石と同じに見える石の彫刻があった…🤭
地球の気温が上昇し海面が上昇したことで、
インドネシアにあったスンダランドが水没し人々は船で逃げ出した… 🛶
その中の一派が黒潮に乗って日本列島に到着したのでは…🛶🛶🛶
神社の建築法はお寺のそれとは違うよね、お寺は大陸から来たドッシリした仏教の建物。
では神社は?
高床式…この建物は大陸的じゃない、太平洋の島に住む人たちとの共通点が多い…
これはなぜ…?
僕の母方の高祖母は「阿太」という古事記/日本書紀にも出てくる村で…
阿太の地名は、九州南部の薩摩国阿多郷に由来するそうで、
そこは神武のふるさとであり、天皇家と血を分けた兄弟伝説をもつ阿多隼人の本拠地でした。
その隼人が遠く大和のここ阿太まで来ていたのです。
境内横に日置郡(現在は南さつま市)金峰町の人が植樹した広葉樹があります。
どうやら僕の顔立ちや体型は南方系のDNA…
そんなことから先祖はどこから来たのだろう…ともっと興味が湧く…
古代の歴史にハマっていく(^^
幸いFIREという「時間が自由になった人生」を手に入れたから出来ることだと思う(^^v
ある意味自分探しみたいな(^^
続きはまた次回…