日光東照宮…
家康公が神となり日本を守る社…
天下人となり、神となった男

江戸時代の元和2年4月17日、家康公は駿府で死去し、遺命によって遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ、
同年中に久能山東照宮の完成を見たが、翌・元和3年(1617年)に下野国日光に改葬されることとなる。
日光では同年4月(4月)に社殿が完成し、4月8日(5月12日)に奥院廟塔に改葬され祀られることになった。
3代将軍・徳川家光が日光社参し、寛永13年(1636年)の21年神忌に向けて寛永の大造替が始められ、荘厳な社殿への大規模改築が行われた。
正保2年(1645年)に朝廷から宮号が授与されて東照社から東照宮に改称した。国家守護の「日本之神」として、翌年の例祭からは朝廷からの奉幣が恒例となり、奉幣使が派遣された。
家康公が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。
金地院祟伝の日記である『本光国師日記』には「遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ることとある。
家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられている。表参道を延長していくと寛永寺の旧本堂(根本中堂)につながるんですよ

この日光東照宮の陽明門は、建物全体がおびただしい数の極彩色彫刻で覆われ、一日中見ていても飽きないということから「日暮御門」と称されているんだって
しかし凄い装飾感

武者が守る…
しかしキン
キラ
キン
凄いなあ〜
男が天下を目指した戦国時代の勝利者
壮絶な人生だったんだろうなあ…。
その徳川家を忠実に支えようとした兄弟は幕末の激動に飲み込まれていく…
その一つ「会津若松」
城下町の洒落たコーヒーショップで白を見上げながら
今回は城攻めはせず、静かに美しい姿をしばし…

白虎隊で有名ですが
会津戦争で壊滅的被害を受けた城は再建され綺麗になってます…

もう一つの楽しみが…
夢路のお気に入りの宿だったようで…

夢路の美人画…好きです

華奢で気品があって、どこか暗い…
そんな雰囲気が漂う夢路の世界

そして…もう一人

与謝野晶子『湯の川の 第一橋をわがこゆる 秋の夕のひがし山かな』


お楽しみ

FIRE人生の…気まま旅…
歴史、お湯、グルメ
、宿
コロナ禍、海外には行けない日々が続く…
今年、3回の海外予定がキャンセル
今のところ来年も3回の海外予定あるけど…
どうなるんかな?…
わからんから…まあ、国内を楽しもう